鬼滅の刃第192話、再び無惨と対峙した炭治郎は『死んでいた』と思われる時間の中で先祖炭吉の記憶の中で出会った
縁壱の所作からついにヒノカミ神楽十三ノ型の正体に行き着いたようです!
今回はそれを中心に考察して行きたいと思います。
炭治郎は無惨の毒によって一時『死んでいた』と思われますが、炭治郎はその時間に先祖炭吉の記憶を追体験しました。
これが気になりますよね。
炭治郎は単に意識を無くしていたのではなく、心停止した状態にあったと思われ、
それならば炭治郎は魂とか心と呼ばれるレベルで炭吉の記憶と重なったと言う事になるのではないか?
炭治郎は先祖に炭吉という音がいた事は知っていたかも知れませんが、何故その記憶と重なる事になったのか?
もしかしたら…
『ヒノカミ神楽』は縁壱から竈門家に伝わり代々受け継がれてきましたが、
『ヒノカミ神楽』は受け継がれる中で代々の継承者の記憶までも継承していく働きがあるのかも知れない…
『ヒノカミ神楽』は先祖から子孫へと血肉のように存在を刻みながら受け継がれてきたのでは?
そう考えると、『ヒノカミ神楽』という共通する要素においては縁壱と炭治郎は先祖と子孫の関係であると言えるのかも知れません。
炭治郎は炭吉の記憶で見た縁壱の所作から、縁壱と自分の差異、つまり僅かな手首の角度や呼吸のリズム、足の運びの違いを学び取り、
ヒノカミ神楽十三ノ型とは、一ノ型から十二の型までをつなげたものであるという結論に達したようです。
炭治郎はこれを百回の説明より一度目の当たりにする方がより身につくものだと述べていますが、それはその通りでしょう。
しかし、その見たものを正確に再現できるかどうかは個人の技量によるものであり、やはり炭治郎の能力の高さを改めて感じさせられますな。
炭治郎は実際に型を単独で使用するのではなく、繋げて使用する事により無惨と渡り合える事を確かめ、結論が間違いでないことを確信します。
また、炭治郎は父親がヒノカミ神楽を舞う際、それが夜明けまで続いた事から、それは夜明けまで無惨の5つの脳と7つの心臓を斬り続ける事を意味していると推理し、
それが縁壱が無惨を仕留めるための戦い方だったとも考えますが、縁壱に出来なかった事が自分にできるのかと不安を生じますが、それも一瞬の事です。
敵は、仇はすでに目の前に存在する。
不安など、気の迷いに過ぎない。
次は一から十二まで全ての型を繋げて攻撃すると決意して次回へ続くとなる展開。
炭治郎は縁壱が刀を振るう際、それは非常に美しく、縁壱を精霊のようか人だと思ったようです。
縁壱は素朴で優しく、動物的でなく植物的な存在であるように感じたのかも知れない。
それは父・炭十郎と共通した印象と言えます。
炭治郎は縁壱と炭十郎を重ねて慕っているのではないか?
いや、ヒノカミ神楽を通して縁壱の精神が竈門家の継承者達に受け継がれているのかも知れないです。
竈門家の人間はみんな底抜けに優しそうですよね?
それは生命観に根ざしているのかめ知れない。
生命とは全て等価値であり、一つの生命は他の生命によって支えられ、生かされているもので、それを身勝手に傷つけたり奪ったりするものに対しては断固として立ち向かう。
縁壱は無惨に『生命を何だと思っているのだ?』と尋ねたりして、生命に対する拘りが強いように感じます。
縁壱が『生命をどう思っていたのか?』は、今の炭治郎の言動を見れば一目瞭然でしょう。
人間は人間のみならず全ての生命と繋がり支え合い生きていくものであるという生命観を破壊するような無惨のような存在は必ず倒さねばならない。
改心してくれるのが至上なのでしょうが、それは絶対に叶わない。
炭治郎が無惨に対しては非情になり切れるのは、やはりヒノカミ神楽を通して縁壱の精神を継承しているからであるような気がしてなりません。